~大久保宏明の法令散歩~ボアソナードに学ぶ

不平等条約を改めるという明治政府の悲願は、国内法の整備を促した。


欧州各国と肩を並べるために選択されたのは、フランス法の継受であった。


当時のドイツは統一国家ではなく、イギリスのコモン・ローはわが国には適していなかったという事情による。


明治6年、政府は、パリ大学教授であったボアソナードを招いた。


ボアソナードは、超国家的な人間の理性を重んじる自然法思想をわが国にもたらし、フランス法をもとにした旧刑法や治罪法(旧刑事訴訟法)の施行に大きな影響を与えた。

ボアソナードが命をかけた日本民法典の編纂により、旧民法の公布に至るが、イギリス法学派・ドイツ法学派・封建的思想論者等との間で法典論争が生じ、旧民法の施行は無期延期となった。

こうして、明治28年、ボアソナードは帰国した。


他方、伊藤博文らは、英仏の自由主義を良しとせず、ドイツの国家主義に基づいて極秘裏に明治憲法草案を起草し、明治23年、大日本帝国憲法が施行されたのである。

そして、ドイツ概念法学に傾斜したまま、国法秩序が整備されていった。


大雑把にいえば、ドイツ流の立憲主義的要素をもつ欽定憲法により、中央集権国家が樹立され、フランス流の個人主義的思想が後退して、わが国の政治的近代化が進められたことになる。


公布までこぎつけたフランス流の旧民法が施行されていたとしたら、少なくとも市民法分野は、かなり自由度の高いものになったのではなかろうか。

もしかしたら、第二次世界大戦を避けるチャンスがあったのではないか。


私ごときの歴史観で推し量ることは不可能であるが、再び中央集権化が進められている感がある今、国法秩序の行方について注視する必要があることだけは、間違いないと思う。


行政書士・社会保険労務士 大久保宏明(元検事・元弁護士)