【プライバシー権とは】
プライバシー(privacy)が権利として主張されるようになったのは、19世紀末のことであった。
ブランダイスらが1890年の論文で「a right to be let alone」と表現したため、「一人にしておいてもらう権利」「ひとりで放っておいてもらう権利」などと訳されている。
【私人間の権利として】
当初、プライバシーの権利は、民法上の権利として把握された。
つまり、私人間における不法行為法上の法的利益と捉えられたのである。
「表現の自由VSプライバシー」という問題提起は、「宴のあと」事件判決(東京地判S39.9.28下民集15-9-2317)を先例とするが、それは不法行為に基づく損害賠償請求を認容した判決であった。
当該判決は、「正当な理由がなく他人の私事を公開することが許されてはならないことは言うまでもないところである」として、プライバシーの権利性を肯定した。
【憲法上の人権として】
アメリカでは、1965年の連邦最高裁判決によって、プライバシーは、憲法上の権利(つまり対公権力レベルの人権)として認知された。
この判決は、避妊用具の使用を禁じる州法を違憲無効とした。
わが国では、「宴のあと」事件があまりにも有名であるため忘れられがちであるが、裁判例としては、少々早く憲法上の人権として論じられていた(大阪高判S39.5.30判時381-17)。
警察官によるデモ行進の写真撮影が人権侵害ではないかとされた事例であった。
その後、同じく警察官によるデモ行進状況の写真撮影が問題とされ、いわゆる京都府学連事件判決(最大判S44.12.24刑集23-12-1625)は、「個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有する」と判示した。
【積極的権利として】
情報化の進んだ今、プライバシーの権利は、より積極的なものとして説明されている。
いまや、「自己に関する情報をコントロールする権利」こそ、プラーバシー権の本質的内容であるといわれている。
自分の情報を削除できなければ、プライバシーの権利を有しているとはいえない。
行政書士・社会保険労務士 大久保宏明(元検事・元弁護士)